12年前の今朝だったのだ、阪神大震災。リンクのkazuちゃんのブログを読んで、思い出した。(と言うより、「あれ?もう12年??」) 同じく、回想するとしよう…
私は、当時吹田のハイツに住んでいた。
地震の直前に、お寝坊の私がなぜか「はっ」と目が覚めた。そして、部屋の屋根の角をじーーっと見ていたら、突然「ごおおぉぉぉぉ~~~」と地鳴りのような音がし始めたのだ。
誰もがそうだっただろうが、その地鳴りと共に始まったその揺れは、最初は地震とは思えなかった。何かわからないのだ。だが、段々それだとわかり、布団に深く潜り、このまま天井が落ちてきたら、「私は死んでしまうんだな。お母さん、私は親不孝ものでした!」などと思ったものだ。
その日、たまたま休みをとっていた平日だった。
とりあえずの大地震は治まり、また寝てしまったのだが、その時電話が… 高槻のおばさんからだった。
心配して電話してきてくれた、最初の人だった。
それで事の重大さに気づき、初めてテレビをつけた。そしてびっくり。高速道路が倒れる?神戸が火事??信じられなかった。
これは、大分の両親も心配しているだろうと電話をとったら、もう繋がらない。繋がる電話を求めて、近くを徘徊しひとつだけ繋がる公衆電話を見つけ、行列に並んだ。そして順番がまわってきて母親と話をしたら、「何が?」だと。知らなかったらしい。まぁ、心配かけずに済んだので、よしとしよう。
私は幸いにも、特にこれといった大きい被害には遭わなかったのだが、友人や同僚は、友達を失ったり、体育館に非難したり、部屋に穴が空いた等などと大変な思いをしていた方々は沢山いた。
地震から1ヶ月くらいであろうか、仕事で神戸のお客さんへ電話してやっと繋がった時にそのお客さんが、「すごいで、ゴジラが暴れた後みたいやでー」と言っていた。それを聞いて、なぜか少し安心したものだ。関西の人は、いつでもどんな時でも、笑いに変えるのだ。
地震の次の日出勤してのびっくりは、すでに救援物資が届いていたこと。そして、翌々日にはアメリカからも救援物資が届いていた。(ちょっと笑えるが、その救援物資を送ってくれた人、かなり急いで送ったのだろう。なぜかハイヒールやワンピースが入っていた…)
あれから12年か…