日曜、某遊園地へと足を運んだ。もちろん、けいたんまんの為に…
だが、身長130㌢などないけいたんまんが乗れる乗り物など限られていたのだが、予想に反して、かなりご満悦の様子。
お気に入りは、どこにでもある新幹線や自動車の乗り物だった。別にお金入れて動かさなくとも、気にならないようだ。ほな、ここじゃなくってええやん?!
とはいえ、丁度けいたんまんのお昼寝の時間に到着してしまったので、眠いのと遊びたいので、超マイペース(悪く言うと、ワガママ)。
いつものことだが、鉄砲玉のように飛んで行って、降りかえりもしない(~_~;)
一度、隠れて見てていたのだが、私とよっしーを探すまでもなく、こけて頭を打って泣いてしまい、こちらから登場するはめに…
その後、限界か?って時があったので、帰ろうかと迷いつつ、フライドポテトを買い与えると「おいしーー」とご機嫌回復。
↑大好きな二人に遭遇。重いばいきんまんをなぜかひっくり返そうとしておった。
小2時間遊んで帰る道中、すぐに寝てしまったのは言うまでもないだろう。しかも、チョコを食べながら…
豆まき、やりましたよ。
今年は鬼さんを怒らせない様に、そ~~っと投げたのだが・・・
けいたんまん、みるみるお顔が豹変!
そう、恐かったのだ、お面が。「ぱっぱ~、。゜゜(>ヘ<)゜ ゜。ビエェーン 」
保育園の本格的な鬼さんは恐くなかったのに、お面をかぶったよっしーがなぜ恐い???
お豆全15粒ほどまいて、引き上げたのだった。写真とる時間さえないε=( ̄。 ̄;)
だけど、海苔巻きを(今年は)北北西に向いて、三人でガブッ。
よっしーは普通の太巻き、私は(太巻きが)嫌いなのでサーモンサラダ巻、そしてけいたんまんは納豆巻をそれぞれガブッした。
けいたんまんは、海苔が好きなので横からかじっておった… (゜∇゜ ;)
そうそう、↑これは関西の慣わし。節分に、太巻きを切らずに毎年決まった方角を向いて丸かじりすると、その年健康でいられるんだか、厄除けなんだか、何かそんなんらしい。
今日は、激寒。今期は暖冬だったが、とうとう本格的に冬がやって来た。
…と言うことで、今日は粕汁。(平日の写真は、携帯写真でご勘弁)
最近、ブログの主旨が変わってきた感があるが、どーも私は、「食べ物の写真」が好きなのだなと、最近自分で気づいたのだ。
かといって、食べることに執着があるわけでもなく、写真が好きなのだ。
そう気づいたのは、親友KAのリンクにあるyurkさんの写真がきっかけかも知れないなぁ。ものすごーーくおいしそう。
最近は、料理のブログを求めて探索中だ。
しっかし、この世の中、一人一ブログ?と思うくらいの多さである。
今日は、保育園のもちつき大会。
ほとんど、もちを食いに行っただけ。
お手伝いしてはったお母さん方、お疲れ様でした!いつか私もお手伝いしなくちゃいけなくなるんだろーな、と考えながらせっせと働いているお母さん方を見守っているだけだった。
↑は、おぜんざい。(on 皿)
久々につきたてのお餅を食べたのだが…ヾ(@⌒¬⌒@)ノ ウマヒィ
けいたんまんも、ペッタンペッタンやりました。最初嫌がっていたものの、杵を持ったら「へら~」と笑い、喜んでくれていた。
家ではお餅なんて食べさせることあんまりないし、先生に、「けいたんまん、あんまりお餅好きじゃないですか?」と言われたので、食べないかと思いきや、やっぱつきたては違うのだろうか?「もっかい」と催促していたのだった。
12年前の今朝だったのだ、阪神大震災。リンクのkazuちゃんのブログを読んで、思い出した。(と言うより、「あれ?もう12年??」) 同じく、回想するとしよう…
私は、当時吹田のハイツに住んでいた。
地震の直前に、お寝坊の私がなぜか「はっ」と目が覚めた。そして、部屋の屋根の角をじーーっと見ていたら、突然「ごおおぉぉぉぉ~~~」と地鳴りのような音がし始めたのだ。
誰もがそうだっただろうが、その地鳴りと共に始まったその揺れは、最初は地震とは思えなかった。何かわからないのだ。だが、段々それだとわかり、布団に深く潜り、このまま天井が落ちてきたら、「私は死んでしまうんだな。お母さん、私は親不孝ものでした!」などと思ったものだ。
その日、たまたま休みをとっていた平日だった。
とりあえずの大地震は治まり、また寝てしまったのだが、その時電話が… 高槻のおばさんからだった。
心配して電話してきてくれた、最初の人だった。
それで事の重大さに気づき、初めてテレビをつけた。そしてびっくり。高速道路が倒れる?神戸が火事??信じられなかった。
これは、大分の両親も心配しているだろうと電話をとったら、もう繋がらない。繋がる電話を求めて、近くを徘徊しひとつだけ繋がる公衆電話を見つけ、行列に並んだ。そして順番がまわってきて母親と話をしたら、「何が?」だと。知らなかったらしい。まぁ、心配かけずに済んだので、よしとしよう。
私は幸いにも、特にこれといった大きい被害には遭わなかったのだが、友人や同僚は、友達を失ったり、体育館に非難したり、部屋に穴が空いた等などと大変な思いをしていた方々は沢山いた。
地震から1ヶ月くらいであろうか、仕事で神戸のお客さんへ電話してやっと繋がった時にそのお客さんが、「すごいで、ゴジラが暴れた後みたいやでー」と言っていた。それを聞いて、なぜか少し安心したものだ。関西の人は、いつでもどんな時でも、笑いに変えるのだ。
地震の次の日出勤してのびっくりは、すでに救援物資が届いていたこと。そして、翌々日にはアメリカからも救援物資が届いていた。(ちょっと笑えるが、その救援物資を送ってくれた人、かなり急いで送ったのだろう。なぜかハイヒールやワンピースが入っていた…)
あれから12年か…